ゆかりの日々徒然

シンプルな生活の中で、好きなものや心地よいものに触れつつ、日々のことを綴ります。

元祖ミニマリスト、石田三成とその生涯。

どうも!藤白ゆかりです。



先日ふと、そういえば元祖ミニマリストって誰がいるかなと考えていました。

ハイパーメディアクリエイターの高城さんは(エリカさまの元旦那)
ライフハック系ミ二マリストですよね。


そこで思い出したのが、
関ヶ原で敗れたのち、
訪れた石田三成の部屋には脇差一本しかなかった、という逸話がありました。

関ヶ原西軍の大将
石田三成
(総大将は便宜上、毛利輝元)

私、この人、どうしてもわるい人とはおもえないんですよね。

生年は1560年うまれ、
伊達政宗大谷吉継は同期、
ひとつ上に、直江兼続がいます。
…書いてておもったんですけど
う―んなかなか濃いメンツですね。
三成は遺骨から、男性にしては小柄であり、色の白く、女性っぽい顔立ちをしていたことまでわかっています。


現在滋賀県観光大使
マッチョじゃない、若い頃の西川貴教さんが近いかと…。


茶坊主から才覚を認められ、秀吉に取り立てられて、

自分の名誉は一切目もくれず、ただ秀吉のそばで天下を夢見ていたかった。


女性は人柄をみて上司についていきますが、このひともそんな気がするんですよ。

おなじ時期に取り立ててもらった大谷吉継との関係といい、友達は大切にしてますよね。
決して直江兼続とも仲が悪いわけではないですし。

少なくとも現代でも経理とかで不正でつかまるタイプではないとおもいます。
むしろ見つけてしまう方かもしれません。神経が細かそうなので。

もし、彼が江戸時代も生きていたら、朝から番までそろばんとにらめっこして、参勤交代の予算案とか必死に計算していたとおもいます。

おお、これぞ勘定奉行!みたいな信頼は厚そうです。
経費にきびしそう。


で、たぶん秀吉の人柄に惚れたタイプだとおもうので、ホリエモン氏や
お金配りの月にいく人がどんな厚待遇で迎えようとしても

見向きもしないタイプかとおもいます。


ただ、豊臣家を守りたかった人なんですよね。

官僚方なので、武闘派の島津家や加藤清正らには好かれず、
関ヶ原前には前田利家も、黒田官兵衛もいなくなってしまいました。

彼らがいれば、まだどうにかできたかもしれません。

歴史にもしも、は存在しませんが。

実は、大谷吉継がいたことでかなり救われてもいるんです。

病の身とはいえ、彼も三成ととりたてられるだけの頭のいい人物です。

加えて、頑なさが三成のように強くなく、中立で話しやすかったという長所があります。


それを裏付けるように、徳川家康に東軍へつくよう要請をうけていました。


しかし吉継が何度も無謀だと説得に説得を重ねたものの、

三成は首を横に振ったまま。
戦をさけるにはもうどうにもならず、

吉継は自分の病を考え、
生きているかわからない未来の栄光より、
いかなるときも大切にしてくれた彼にしたがい、
一緒に死ぬ方がいいかもしれない、と西軍につきます。


光秀のときも、家臣がとんでもない反対していないところからみても、スジがとおっているとおもわれたんだとおもいます。


さて、一方東軍は
大谷軍がてっきり味方してくれるとおもいきや、三成軍について向かってきているので、
家康は驚いたと伝わっています。

土壇場でせっつかれまくって裏切る小早川家よりは
よっぽどいいですよね。
これはもう…フォロ―できない。(--;)


私はこの二人が現代にいても
きっと仲よしなんだろうなあと
思います。

いつの時代も、市民に人気のある人はなかなか国政に打って出られないんですよね。

織田信長も、安土城完成のときに農民たちにお披露目したり、
お祭りをしたり、楽市楽座を開始したり、好物の金平糖を家臣に分けてあげたり、
優しい一面があります。


明智光秀も時を超えて地元であれだけ愛されてますからね。


これからさき、ここまで愛される議員さんが、首長さんが出られるでしょうか?


出てもらえるよう、取り合えず、政策をみて、数日後に不在者投票にいってきます。(*^^*)
これが大人にできる唯一のことですね。(*^^*)


読んでくださってありがとうございます。(*^^*)



今日がみなさまにとって素敵な一日になりますように。


そしてコロナが少しでもはやくおさまりますように、心よりねがっております。


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